店主ご挨拶
『餃子バル®』は気軽に飲みながら餃子を提供できないか
という想いから立ち上げたお店です
まだ、バルという業態が知られていない20年ほど前から、いろいろなシーンで気軽に飲める「バル空間」で餃子を提供したいというところから構想を練り上げ、西は九州から北は宇都宮まで餃子を食べ歩いた末に、博多流の薄皮餃子を採用し、店を立ち上げてみました。餃子はビールはもちろんのこと、紹興酒や焼酎、さらにワインなどにもにもよく合うようにできていていろ楽しめます。 また、餃子に合うおつまみも豊富に取り揃えていて、女性にも通いやすい雰囲気を備えた店づくりとしています。。
これからも毎日心を込めて安心・安全な手作りの味をご提供していきますので、ぜひご利用くださいませ。
『餃子バル』立ち上げ回顧録
記事は、『バル、始める』(独立・開業 小さな飲み屋の作り方) 新星出版社編集部 に掲載された記事からの抜粋になります。記事の一部は現状に合わせて改定しています。
料理好きの金融マン、キャリアの転機に「かつて夢みた飲食を」
焼けばパリ、蒸せばモチ。具材が透けて見えるほどの極薄の皮が博多流餃子の特徴だ。鶏や牡蠣のスープを練り込んだ餡は旨味たっぷりで、ビールとの相性は言わずもがな。ゆず胡椒で味わうなら焼酎がお供になる。「宇都宮、浜松、大阪と餃子の名店を食べ歩いて、たどり着いたのが博多流でした。さまざまなお酒と楽しめるところが、バルにぴったりだと思うんです」
そう語る店主は、金融業界出身の脱サラ組だ。小学生の頃から趣味は料理。オーブンのなかでシュークリームが膨らむのを飽きもせずに眺めた。
それでも飲食を仕事にしようとは思わなかった。学生時代のファミレスのバイトは「料理させてもらえない」と初日で辞めた。就職活動はバブル全盛の頃、大手証券会社(三洋証券)に採用され、そこからさらに英系通信社(ロイター通信)での証券情報配信に関するコンサルティング業務やITソリューションなど金融業界でキャリアを積み重ねることに。
独立を思い立ったのは30歳代の半ばを過ぎた頃だった。キャリアを積むほど会社の意向に従うしかない立場に腹が立った。マネジャーにでもなれば社内での政治的なかけひきも要求される。「でも僕は、純粋に仕事に集中していたほうが楽しい。じゃあ、一度は夢みた飲食で独立してみようと」
飲食経験なしでも「餃子」1本に絞れば プロと戦える
いくら料理好きの腕自慢とはいえ、業務的な作業経験のない中でプロとのいきなり真っ向からの勝負は分が悪い。ならば最初は専門店としてにメニューを大幅に絞り勝負に出ることにした。そんな中で、バルのブームが来るだいぶ前の頃であったが、意外にも餃子バルのアイデアはすぐに生まれた。お酒が飲めて女性も立ち寄れる餃子店がないことにも目を付け、バルという業態がマッチすると直感的に考えたそうだ。
独立は2004年。研究を重ねて完成させた博多流薄皮餃子はすぐ評判になった。渋谷の千歳会館にあったラーメンのフードコンプレックス(特定のジャンルの食べ物を扱う専門店を集めた商業施設。)である『麺喰王国』内に試験運用的に出店したのを皮切りに、同施設閉鎖後は某居酒屋チェーンに餃子を卸した。そのチェーン社長の口利きで世田谷区千歳烏山に店を構えると、これが大当たり。すぐに次の店を出す資金が貯まった。
居酒屋チェーンとの契約が切れたのを機に杉並区高円寺に移転してきて、今年で7年目。飲食の激戦区で知られるこの街に、しっかりと根を下ろしている。「餃子バル」の客層は30-40代が中心。それもカップル、女性2人組が多いという。餃子屋といえば油汚れも風情だが「餃子バル」は女性にも居心地がいいようにと清潔感にこだわる。「お客さんと私がおしゃべりしながらワイワイやる感じではないんですが」とこの店主は控えめ。うまい餃子とうまい酒、この2つで客をもてなしている。「この仕事の何が楽しいって、常連さんがついてくれること。ほんのひと言、ふた言会話する中で『うちの店、愛されてるなぁ』と思える時は最高なんです」
なお、「餃子バル」を名乗れるのは、業界広しといえどもこの店だけ。創業当初から、しっかり商標登録済みなのである。
引用:『バル、始める (独立・開業 小さな飲み屋の作り方)』 新星出版社編集部
発刊: 2014年10月(記事は現状に合わせ一部改訂しています)
店主より: 2016年の5月には赤坂に移転しいたしました。お蔭様で高円寺店より多くの席数となり、ただ今盛業中です。それまでのお店の常連さんたちの多くにもご来店いただいていること大変ありがたく、また嬉しく思っています。